子どもにも言いたいことがありますね。
ケンカをしたとき、いけないことをしたとき、とりあえず謝って反省する、同じことを繰り返さない、ということを大人は強いることが多いかもしれません。
殴ったら負け、先に手を出した方が悪いなどと言い、言葉の暴力は見逃しがちです。
子どもの言い分をきっちり聞いてあげること、大人にとっては「言い訳」ととらえられることも、子どもに自己主張をさえてあげることは社会性を育てるのではないかなと思うのです。
落ち着いてから、何があったの?と言い分を聞いて、それから「言い分もわかるよ。けど、いけなかったね。」と、言ってあげることで子どもが「主張を聞いてもらえる」と大人や社会を信頼することと、「いけないことをすると周囲から否定されるのだ」ということを学び、社会性が育つのではないかな、って。
次男が小学校4年生のとき、授業中に隣の席の子どもにわき腹をくすぐられたり、消しゴムを取られたりと、ちょっとしたからかいのようないたずらをされていました。
一度ではなく毎時間なので、先生に言ったようですが「もうケンカやトラブルは自分で解決する年齢だよ」とのことで、取り合ってもらえなかったとのこと。
その後、続くちょっかいに次男は耐えかねて、相手を殴ってしまいました。
先生は、殴った次男と相手の子どもを同時に謝らせて、なぜこういうことになったのかは子どもに話させなかったようです。
子ども同士が納得いっていなくても、大人は謝って終わりにすることですっきりし、解決したような気持になりますね。
トラブルを早く終わらせてしまいたい、という気持ちのあらわれでしょうか。
次男はそれきっり、学校に行かなくなってしまいました。
それだけが理由ではなかったのかもしれませんが、大きなきっかけになったことは確かです。
話しを聞いてほしいとき、きちんと話せる子どもなので、理由を聞いてもらえなかったのがよっぽど悲しく、先生に対しての信頼が崩れたのでしょう。
学校には、自分の味方がいないんだ、と話していました。
学校の先生とお話しましたが、すみませんと言い、その後自宅に来てくれたりお電話してくれるようなこともなく、そのまま進級となり担任が変わりました。
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明るく友達が大好きな次男。勉強も大好きで図書館に友達と通っていました。その次男が学校に行かなくなるなんて、その時は受け入れることができなかったわたし。
泣き叫ぶ次男を無理矢理車に乗せて登校させたこともあります。
けれど、こんなに居場所がない、行きたくないという次男を学校へ連れて行って、何になるのかなと思い、ある日から学校へ連れて行くのを止めました。
それから約6年、次男は学校へ行っていません。
悩んで悩んで悩みぬいて、学校を拒否した次男の気持ちを尊重したいと思ってのことです。きっとこれまで頑張りぬいてもう頑張れないというサインなのでしょう。
来年は高校進学です。
次男はどう思っているの?と聞くと、嫌だけれど高校は行きたいな、と言っています。
子どもは一瞬一瞬が成長で、一人ひとりに大切な人格があります。
大人が話をきかなかったり、さえぎったり、自己主張をさせないことは、勝手なことだなぁと自分も反省することもあります。
目を見て、しっかり興味を持って話を聞くことをそのときからずっと大切にしてきました。
大人に対する信頼を取り戻し、いつかまた人に甘えたり頼ったりできる子どもになってほしいと思っています。